モバイル表示

『湘南瓦屋根物語』詩子の演技

◎詩子の演技

『湘南瓦屋根物語』のDVD版には、『元祖・湘南瓦屋根物語』という100分を超える特別ドラマが収録される。

そのドラマは、テレビシリーズの10年前という設定で、雅史はまだ瓦屋根屋を始めておらず、俊介はまだ高校生で、次朗に至ってはある意味存在すらしていない。

そんなわけで詩子の出る機会は少なく、彼女はあくまでゲストという形で出演している(そのかわり訪ねてくるお客さんたちのキャストは豪華だが)。

だからもちろん、シナリオや演出プランは詩子を抜きに考えなければならない。そのときに改めて、『湘南』における詩子の存在の大きさに気がついたことを覚えている。

言ってしまえば、詩子抜きの『湘南』はどうしても『湘南』にはならない。どんなにがんばっても『湘南』とは別物の話になってしまう。

テレビシリーズで詩子はただ鈴木家の面々にもてあそばれ、彼らの怪行動を見ているだけのように見えて物語の進行上そんなに重要じゃないようにも思えるのだが、彼女がいなくなると、あの『湘南』に備わっているさわやかでほのぼのとした空気がなくなってしまう。
どこか恐ろしげな話になってしまう。

その詩子のもの言わぬ存在感は100%、菅谷梨紗子ちゃんの力に依存している。

『湘南』の水戸での上映会におけるゲストトークのときに、「どうやって詩子を演出したのですか?」という質問に対して、半分冗談で「助監督さんが手をパーにしたら笑ってねと言ったり…」と答えた。

たしかにはじめは、詩子を演じる菅谷梨沙子ちゃんの演技はその程度だった。特典映像についてくるNG集を見ればわかるが、たった一言「菅谷詩子です。よろしくお願いします」と言うだけで10テイクくらいのNGを重ねていた。

そんなこんなで、とりあえず微妙な感情をコントロールしなければならない芝居は要求せずにただ助監督の合図を見て笑顔を作ったりセリフを言ったりする演出にゆきついた。

1~15話くらいまでは話がシンプルなこともあって、その程度の演技でも充分やっていけたのは全然不思議じゃない。不思議なのは、それ以降、話が重なるにつれ、プロットがだんだん複雑化していって、鈴木家と詩子の関係性にも何か家族のような愛情が生まれ始め、詩子に求められる表情も多様化していったのにもかかわらず、その手信号演出だけで、彼女の芝居が一発OKを多くしていったことだ。

オーディオコメンタリーでも誰かが言っているけれど、詩子の表情をあらためてよく見てみると、笑顔や不思議そうな顔、その他いろいろな表情は、そのシークエンス毎に微妙に違っていて、それらはまさしくそこで要求されている表情だったりする。

ということはつまり、そういう微妙な表情を梨沙子ちゃんは、僕から特別何も演出されずに、ただ助監督の手を見て演技していたことになる…。これは本当に神秘的なことだ。

本当に圧巻なのは、最終回(撮影の最終日でもあった日)のときの詩子の表情で、みんなに対して「やっぱり帰る」と我慢して告げるときの表情は神々しいくらいに哀しそうだ。このときも彼女は、助監督の手を見て言っているのだ(このときばかりは僕も何か演出しただろうけれどそれほど細かいことはたしか言っていない)。

詩子はあの当時7~8歳なのに、現場あるいは僕の雰囲気から、そのときに求められている感情を察知して、いわゆるテレビ的なくさい芝居をせず、目や口元のほんの小さな表情だけで針の穴を通すようにピタリと表現していた。

菅谷梨沙子ちゃんはその奇麗な容姿は言わずもがな、女優としての器ははかりしれないほど大きいんだなあと、昨日オーディオコメンタリーのチェックをしながら思った。

http://blog.livedoor.jp/hazy_jane/archives/50109905.html

戻る

友達に教える
メールに保存 
このページのURL
注目ワード
テニスの王子様|REBORN!|BLEACH|銀魂|BL/TL|ジャニーズ>>その他


管理TOP
カラメTOP