『裏湘南瓦屋根物語』
2005年10月31日
◎『湘南瓦屋根物語』のトーンの秘密 by 笠木望
『湘南瓦屋根物語』のトーンはそう言われてものすごく恐縮だが、よく小津安二郎監督の作品に似ていると言われる。
僕は小津監督がとても好きだが、『湘南』を撮るときにことさら意識したことはない。
ただ、『湘南』のあのトーンには止むに止まれぬ事情というか秘密がある。
日本家屋で座り芝居をすると、基本的にローポジションが多くなったりする。
それはまあよくある話として、『湘南』は基本的に小津監督作品の中でこれまたよくあるように、人物と人物のカットバック(対面している人のワンショットを交互に見せて会話させる方法)でほぼすべてのお芝居が撮影されている。
それには大きな理由がある。
主役の詩子は当時小学生で(今もか……、恐ろしい……)、日本の法律か何かで確か午後6時までしか拘束できなかったことがその理由だ。
ウィークデイは学校があるため、撮影は自動的に金・土・日に行われた。
詩子が来る日は土・日だった。
1ヶ月後に控えた毎日放送分をもれなく納品するためには、その3日の間に9話分、つまり1日に3話を撮影するペースで進めなければならなかった。
一話5分弱だとして1日15分を撮り上げなければならない。
一般的なドラマの撮影は1日15分撮れれば早い方なので、本当に限界ギリギリのスケジュールだ。
そのギリギリの中で、主役の詩子は2日間しか撮影することができず、しかも両日とも午後6時までしか拘束することができない。
普通に考えて無理な分量だった。
そこで決行されたのが、“詩子隔離作戦”だった。
話がどんな話か関係なく、詩子をほぼかなりの割合で、家族とはちょっと離れたところに配置する作戦だ。
そうして、詩子の拘束時間いっぱいを使って、9話分の詩子の単独ショットをすべて撮ってしまうのだ。
残りの時間は、他の家族の芝居をゆっくりと撮影すればよかった。
土・日の午後6時までは詩子はほぼ1人でカメラの向こうにいる助監督に対して演技し、それ以外の家族は詩子が帰った後で、あたかもそこに詩子がいるかのようにカメラに向かって演技をしていた(かなり夜遅くまで!)。
そのため、結果的に、ほぼすべての芝居がカットバックによって撮影されることになったのだ。
今思うと、その“作戦”は良い意味で作品に作用していると思う。
1人正常なキャラクターの詩子が、異常な家族を見つめているような印象になっていて、家族がどんな異常なことをしても客観的な視点が確保してあって安心感がある。
キャラクターたちの異様な面持ちを詩子の可愛さが、まるで清涼剤のように相殺してくれてもいる。
そして芝居の“間”がわりと自由に調節できるカットバックという方法によって、あの奇妙で異常な空間を構築しやすくなっている。
まるで小津監督作品の役者さんの芝居がどこか奇妙なのにもかかわらず変にリアルであるかのように。
…と、“映画の神様”と言っていいくらいに偉大な小津安二郎監督を僕の作品の引き合いに出してしまってものすごく尊大だが、あくまで撮影スケジュールの都合でそうなっただけだったのでした。
hazy_jane at 14:20
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